こんにちは! arc-en-ciel〈アルコンスィエル〉Takako(→プロフィールはこちら)です。
みなさんは「 インナーチャイルドの癒し 」や「 感情の解放 」ということを聞いたことはありますか?
わたしは、あるセッションを受け、幼い頃のわたしの悲しみが、想像以上に今の自分に大きな影響を与えていることを知りました。
今回は後編、わたしの「インナーチャイルドの癒し」や「感情の解放」につながった話の続きです。
みなさんは前回のブログ「やっと 母と分かり合えた 前編」を ご覧いただけましたか?
(まだの方は、こちら→「やっと 母と分かり合えた 前編」 から ♪ )
〈 前編より続き 〉
一緒にいたくない‥‥
高校生になった わたしは、父・母・妹と一緒の家にいるのがイヤになり、小学生の頃まで住んでいた、隣にいるおじいちゃん・おばあちゃんの家の空いている2階に住むことにした。
父も母も、全くワガママだ!と怒りながらも、わたしが何度も強く言うので、しぶしぶ引越しを手伝ってくれた。
家族みんなで揃うのは、普段は朝食の時だけ(夕食は、高校の部活で帰りが遅いので わたし一人で食べていた)。
別々に住み始めて、更に家族と口をきかなくなった。
更に、心を閉ざしていった。
最近分かって驚いたこと、それは、部活動のキャプテンをしていたこと、学級委員をしていたことなど、わたしの高校での出来事を家族の誰も知らなかったことだ!
本当に自分の話をしていなかったんだなぁーと思った。
わたしは、自分の記憶が違うのかな?と思い、友達に確認したくらいだった(笑)。
一人暮らし
わたしは、通っていた付属高校の隣にある短期大学に進学した。
短大も家から通える距離だったけれど、一人暮らしをしようと、ふと思い決めた。
その事を、母に話すと、「一人暮らしをしたら、どれだけ自分がワガママしてきたか分かるよ!」と、すんなり了承してくれた。
わたしは、誰にも批判されない、怒られない2年間を過ごした。
とっても自由で、わたしにとって、とても貴重な期間だった。
出来ない事に気づく
一人暮らしをし始めてすぐ、気付いた事があった。
ある日、友達とファストフード店に行ったとき、たくさんのメニューから自分の食べたいバーガーやサラダ、飲み物などをすぐに選ぶ事が出来なかった。
早く注文しなくちゃと思うと焦って、考えるのが面倒になって、先に注文した友達と同じ物をくださいと、店員さんに伝えた。
すると(英語がペラペラで、外国の文化に慣れ親しんでいる)友達に、「私が注文したのと同じって言うんじゃなくて、自分で選べば良いのに」と言われ、ハッとした。
今まで、自分で選ぶというのを、あまりしていなかったのかも!
食事や服で何の不自由もなかった わたしは、日常的に繰り返される「 選択する 」という習慣がなかったと気付いた。
家族でレストランに行ったときも、食べたい物を自分で決める事が出来ず、家族の意見を聞いていた気がする‥‥
せっかく一人暮らしをして、いろんな事を自分で選べる状況になったのに、それをしないなんてもったいない!
一人暮らしをするようになって、この事に気づけたのはとても大きな財産だった。
わたしは、自分は何が食べたいのか?や、自分は何が好きなのか?などを自分に質問するようにした。
短大を卒業したら家に戻るように言われたので戻ったら、母はわたしの事を「更に輪をかけて、ワガママになった‥‥」と嘆いていた。
大きな気づき
最近になって、「真面目な日本人は、自分の気持ちをあまり大切にしない、大切にする事をワガママと思っている人がいる」という話を聴いた。
それを聴いて、当時のことが思い出され、わたしは分かった!
そうか、家族は、わたしが自分の気持ちを大切にして行動する事を「ワガママだ!」と言っていたのか!
家族とわたしの「 ワガママ 」の捉え方が、大きく違っていたんだ‼︎
ただ わたしは、自分の気持ちを大切にして、思ったことを伝えたり、行動していただけだった。
なので、いつも「わたしってワガママなのかなぁ? 悪いのかなぁ?」と分からなかった。
小さな頃のわたしの考えるワガママは、お店の前で欲しいものがあったら大騒ぎして寝転んで泣き叫ぶ、とかだったから…
自分の気持ちや、自分が考えて思ったことを伝え、行動する事が、ワガママだとは思わなかった。
また、先進国と言われている他の国と比べても、日本の教育が、自分で考える事より、こういうものだから覚えなさい!と、暗記・記憶を主にしているのが原因だ、という話も聴いた。
そっかぁ。うちの家族だけでなく、日本人の多くの人がそういう考えなんだと知った。
「 選択する 」練習
ちなみに、わたしは娘に、毎日いろんな場面で、これとこれどっちが良い?と、選択肢を2つにして聞くようにしている。
これは「 選ぶ練習 」
選択肢を2つにしているのは、小さなうちはまだ選択する事に慣れていないから、選びやすいように。
なので、娘はかなり小さな頃から、食べたい物や、洋服や靴なども自分で選んでいる。
日本では、幼い子どもや多感な時期に、親や学校の先生から
「 あなたは、どう思う?」
「 あなたは、どう感じる?」
「 あなたは、どうしたい?」
と、質問される事はあまり無いように感じる。
親や先生が、社会的に「常識」とされる考え方を、疑問に思う事もなく子ども達に教える。
最初は「どうして?」と訊く子どもの大半は、そのうち「そういうものなんだ」と受け入れ、成長していく。
その中で「それはなぜ?」「自分はこう思うのに」「自分はこうしたい!」という子がいたら、言う事を聞かない子・手がかかる子・めんどくさい子、のように思われる‥‥
わたしと、家族のすれ違いの原因の1つは、間違いなくこれだ!と思った。
そして、みんなが思っている常識とは…
「 世の中の多勢の人が、意味も分からず(深く考えず)そういうものと思い込んでいるもので、絶対的なものではない。時代によって変わっていくもの。」
「 世の中での普通と思われている事、価値観や人の意見は時代の変化と共に変わっていく。 」
私達は、戦後・携帯電話の普及・今回のコロナでも、常識がどんどん変化してきたのを知っている。
親や先生、他の人から見て、幸せにみえる人生でも、本人は心から納得し、満足して生きていないかもしれない。
そんな人生が、幸せといえるのかなぁ?
自分の気持ちを大切にして、自分の感覚を信じて納得して生きる方が、幸せだと思う。
自分の気持ちって何?と言われて、具体的にイメージしにくいと思う方は、「 わたしは、どう思う?」「 わたしは、どう感じる?」と考えると良いと思う。
人がどう思うか?じゃなくて、自分は? が大切。
それを分かって人生を送るのは、とても重要な事だ。
(話を戻します)
働く・結婚・出産を経て
短大を卒業した後、両親の勧めで、地元の学校で事務の仕事をした。
みなさん優しく、とても良い職場で楽しかったけれど、わたしは服や化粧品が好きだったので、そういう仕事もしてみたいと思っていた。
6年間務めた後、家族や職場関係の方達の反対を押し切って事務の仕事を辞めた。
そして、ある化粧品会社の代理店を目指した。
母は、わたしの選んだ化粧品会社の商品や考え方(お肌と心を磨いて美しく生きる)を良いと思ってくれ、家族も商品を愛用してくれたので、とても嬉しかった。
たくさんの方や母の応援のおかげで、2年後に化粧品の代理店になることが出来た。
すぐに、とはいかなかったけれど、何年もかけて、母とはだんだんケンカをせず、普通に会話も出来るようになっていった。
自分の事や、気持ちも少し話せるようになってきた。
そして母は、わたしが娘を出産するにあたり、たくさんのサポート(運転をして助産院に連れて行ってくれたり、産後も実家でわたしと娘のお世話をしてくれたり)をしてくれた。
母に対して感謝の気持ちで、いっぱいになっていた。
それに、わたしは母のように、フルタイムで仕事をし、家庭の事をしっかりとしていく事、その両立は得意ではなかった。
なので、働くこと、結婚や出産を経験して、母や世の中のお母さん達は本当にスゴい!と痛感した。
でも、わたしの心の奥底、わたしが気が付かなかった、幼い時の悲しいという感情などはまだ残っていたようだ。
そのことは、セッションを受けないと分からなかった。
やっと 母と分かり合えた
小さな頃のわたしが思っていた事を話し終えると、母は、「崖の話を(覚えていないけれど)もし本当に私がしたのなら、ごめんなさい。」
「なぜ、そんな事を言ったのか自分が信じられない‼︎ 本当にごめんなさい。」
「自分がまだ母として未熟で、あなたの気持ちを分かる事が出来なかった、悲しい思いをさせて ごめんなさい。」
「初めての子どもだったので、どう接して良いのか分からなかった。」
「毎日忙しくて余裕が無かった‥‥ 幼い頃から あなたがそんな気持ちでいたなんて、知らなかった。ごめんなさい。」
と、何度も何度も、謝ってくれた。
わたしの気持ちを受け止め、理解してくれたようだった。
そして母は、「わたしがとっていた態度の理由」が分かったと、言っていた。
母は、「学校から帰ったあなた達に、おばあちゃんが1日の出来事を訊いてくれていたので、何度も訊くとイヤがると思い訊かなかった‥‥ 」とも言っていた。
母も、寂しい気持ちになっていたんだと初めて知った。
「 ずっと悲しい思いをさせていたね、ごめんね 」と母が言った。
そして、ギュー‼︎ と(痛いくらい)抱きしめてくれた。
小さな頃のわたしの気持ちを話すときも、涙が出たけれど、それ以上に涙が溢れてきた。
わたしの中の、分かってもらえないと言う気持ち・寂しさ・悲しみ・怒り・悔しさ・孤独感が消えていくのを感じた。
本当に話せて良かった。
伝えて良かった。
母の気持ちを聞かせてもらって、「 自分は愛されていたんだ 」と分かった。
小さな頃から、わたしが悪いのかなぁ? わたしが おかしいのかなぁ?
でも悪くないもん!ヘンな事言ってないもん!と思って生きてきた。
大人になってもそれは、ずっと心の中に重しのようにあったようだ。
それが、半分消えたと感じた(まだ、父とは話していないので)。
苦しかったけれど、自分を信じて生きてきて良かった。
お母さんや家族にも、わたしが、上手く言葉で表現出来なかった事で、苦しい思いやイヤな思いを長い間させてしまったなぁ、と考えていたら、娘が「ママー」と言いながら私達の所に来た。
このやり取りを、ソファーで見ていた娘も、泣きながら、でも笑顔で一緒に3人でハグをした。
わたしの心の中のガオー!?
我が家では夕飯の時にそれぞれが、「今日の嬉しかった事や出来た事を3個発表する」というのをしている。
その日家に帰って、娘が「 ママの怖いガオー(わたしの心の中にいたらしい)と、ママの子どもの時、遊んでもらえなくて悲しかった事が解決したことが嬉しかったです!」
「Hちゃん(娘の名前)はずっとママの味方だったよ!ばぁばぁ(わたしの母のこと)とハグして、Hちゃんのハグじゃ元気になれなかったのが、元気になれた‼︎ 」
そして、(探偵さん風に)「事件は解決した!」と付け加え、今日の嬉しかった事として笑顔で、わたしと夫に発表してくれた。
癒し・解放
母とやっと、わだかまりなく、付き合っていける。
母との闘いがやっと終わった‥‥
身体の力が抜けて、楽になった感じがした。
そして、娘が大きくなるにつれ、毎晩のように頭に浮かんでいた映像が無くなった。
それは、昼食後少しベッドで横になってテレビを観る、おばあちゃんのお腹の所で、寂しいなーと思いながら身体を丸くしてじっと寝転がっている 幼い頃のわたし。
その場面の映像が無くなった、見なくなった。
今まではその映像が浮かぶと、寝ている娘の姿が自分の小さな頃の姿と重なって見えて、思わず抱きしめていた。
大丈夫だよ!わたしがいるからね!と思いながら。
毎晩のように見ていた映像が無くなったのは、わたしが気付かなかったネガティブな気持ち、娘が言っていた「ママの怖いガオー」が、消えたからだと思う。
小さな頃の思いを母に伝え、小さな頃のわたしと思って抱きしめてもらったら、とってもスッキリした。
ずっと残っていた、心の中の重しが消え、ふっと心が軽くなった。
これが、「 インナーチャイルドの癒し 」や「 感情の解放 」といわれるものだと感じた。
子どもは、親を選んでくるといわれているが(わたしの娘は、お空からこの人をママにしようと選んで、わたしの元へ来た話をしてくれた)、わたしも、母を選んで来たんだと思う。
「 魂の目的 」魂の学びのテーマ、「 ミッション 」貢献のテーマを見つけるために、その学びが最高に出来る一番いい両親を選ぶとスピリチュアルではいわれている。
本当にそうだな!と心から思う。
わたしと母は、長い時間をかけて、お互いの学びをしていたんだ、と。
苦しかった時期がやっと終わった。
これからは、もっと楽しい気持ちで、母といろんな学びをしていけると感じた。
あとは、父に小さな頃のわたしの思いを伝えてみよう。
これは、母に話すより、そうとう勇気がいる。
でも、怖いけれど、挑戦してみよう!
前回のグログはこちら→(「やっと 母と分かり合えた 前編」 から♪ )
最後まで読んでくださり、ありがとうございます ♪