こんにちは! arc-en-ciel〈アルコンスィエル〉Takako(→プロフィールはこちら)です。
2022年9月20日に、わたしの祖母の命が危ないので、今から家に連れて帰ると母から連絡があり、それから7日後の26日に祖母は旅立ちました。
そのことを、わたしの先輩に話すと「今、そんなふうに家で幸せな最期を迎える方いないよ。良かったら ぜひブログに書いてね」と言ってもらいました。
わたしも、こんな最期を迎えられたら良いなと思った、祖母とすごした7日間と葬儀までのことを3回に分けて、お話しします。
わたしのおばあちゃん
わたしの祖母は98歳、11月で99歳を迎えると思っていた。
祖母は可愛らしく、人からもとても好かれ、大事にされる人だった。
オシャレで凛としていて、運動神経が良く、キレイ好きでなんでもテキパキできた。
日本舞踊・詩吟や合唱・水墨画も得意、自分で着る着物を仕立てたり、畑でお野菜を作ったりと、いつもいろんなことをしていた。
とても活動的で、祖父と2人で海外・国内旅行にたくさん行き、歩くことがゆっくりになった96歳頃まで家族と旅行や食事に、車椅子でよく出かけていた。
元気な祖母だったけど、93歳ごろから認知症がではじめて、母と父は昼夜問わず祖母の身の回りのお世話を一生懸命していた。
だけど、祖母の認知症の度合いが進むにつれ、母と父への精神的な負担、介護することの数や量がどんどん大きくなっていった。
わたしは、みていて苦しかった。
母・父・祖母がみんなきつそうで‥‥
そんなとき、父は命にかかわる病気になり入院・手術となった。(今は回復して元気です)
母への負担がさらに大きくなったため、祖母は、今まで通っていたデイサービスと同じ系列の入所施設にお世話になることとなった。
祖母もなじみのある所にお世話になることができ、本当にありがたかった。
施設に入っても時々、外泊の申請をして、祖母は帰ってきて 父と母、わたし・妹の家族と集まって、祖母や家族の誕生日をみんなでお祝いしたり、食事をして楽しく過ごした。
施設の方達も、祖母のことを大切にしてくれているという話を聞き、とても嬉しかった。
まもなく、コロナ禍になり、施設内感染を防止するという理由で、祖母に全く会うことが出来なくなった。
いつでも会えると思っていた人が、突然会えないまま亡くなり悲しんでいるのをメディアで目にすると、会いたい人やお礼が言いたい人には、気持ちを伝えられるうちに伝えたい、と思うようになった。
また、わたしは「人生を0(ゼロ)から3ヶ月で変える」セッション(人生の棚卸しのような)を受けていたので、生まれてから今現在の自分を振り返る機会があった。
小さな頃のわたしは、両親が共働きで忙しく、寂しかった。
でも、祖父母がいてくれて、とても救われていたんだと気づいた。
ただ、いてくれて心強かった。
小学校へ行くときも玄関で「いってらっしゃい!」と見送ってくれ、帰ると「おかえり」と家に迎え入れてくれる。
祖父はすでに亡くなっているので、心で「ありがとう」は伝えたけれど、祖母へは顔を見て直接お礼を言いたいと強く思っていたので、今回家に帰ってきてくれたのは、本当に嬉しかった。
母に伝えた大事なこと
実は、9月の初め、わたしは母に伝えないといけない!と思っていることがあったので話をした。
わたしは ご縁があって『 宇宙のリズム 』からみる「 人 」・「 日 」の捉え方(読み方)を教えてもらっていた。
母に「今、変容のときで 特に9月20日から、わたしと祖母には『 大事な時期 』になる」
「そして、何となくなんだけど、おばあちゃんの命に関わることがあるかもしれないと感じている」
と話をした。
驚くかもと思っていたけれど、母は腑に落ちた様子で、祖母はだんだんと食事や水分が喉を通らなくなり、衰弱してきたと話してくれた。
わたしは、祖母は元気!と思っていたので、「そうなんだ‥‥ 」としか言えなかった。
でも、きっと大丈夫!と、 自分に言い聞かせて、祖母の幸せと健康を祈った。
9月20日
9月20日のお昼過ぎ、祖母の命が危ないので今から家に連れて帰ることにした、と母から電話があった。
突然のことだったのと、また 以前母に伝えた20日という日だったので、ビックリした。
(電話を切るときに、わたしの頭の中に浮かんだことがありました。そのことは、最後に追伸として お伝えします。)
後から聞いた話では、祖母はデイサービスもお休みして、個室で横になっていることが多くなり、施設から「ご家族が交代でおばあちゃんにつくようにしてください」と連絡があったそうだ。
母が施設に行き、祖母と会った瞬間、もう命が危ないと感じたらしく、すぐに家に連れて帰りたいと申し出た。
祖母はベッドで横になったまま乗れる介護用のタクシーで、身体に負担をかけないようにしてもらい、家に帰ってきた。
祖母は、夕方4時に帰ってくると、母から連絡を受けた。
その時間に、わたし・娘・夫で実家に行くことになった。
祖母に元気になってもらいたくて、「色の力」もかりようと、わたしは朱色の服に着替え、娘は鮮やかな黄色の服を着た。
そして、甘いものが好きな祖母に食べてほしくて、プリンと梨を持って向かった。
おばあちゃんに会えた‼︎
実家に着いた、祖母のために 介護用の電動エアベッドが置かれ、その周りに看護師さんやケアマネジャーさん、母がいた。
祖母は、やせていた。
でも、顔はとてもキレイだった。
久しぶりに祖母に会えた!嬉しい‼︎
わたしと娘が「おばあちゃーん!」と声をかけたけど、目は閉じたままだった。
娘が、もう一度「おばあちゃーん!」と呼びかけると、パッチ!と目を開けてくれた‼︎
先に来ていた父の兄や、看護師さんやケアマネジャーさん達もとても驚いていた。
看護師さん達が帰り、落ち着いたとき、わたしは娘と一緒に祖母のベッドの横で話しかけた。
「おばあちゃん会いたかったよ!会えて嬉しいよ! おばあちゃん ありがとう‼︎ 」
そして、わたしは 幼稚園に通っている娘に突然、
「Hちゃん(娘の名前)ありがとうの歌とダンス、おばあちゃんに見てもらいたいので一緒にお願いします!」と言い、
幼稚園の年長さん達が、卒園式に家族のみんなへ感謝の気持ちを伝える歌と踊りを一緒にした。
「ありがとお〜♪ ありーがとお〜♪ 心から ありーがとお〜♬」
「おばあちゃん!ありがとう‼︎ 」
終わって、わたしも娘も 自然と拍手をした。
嬉しい気持ちと、おばあちゃんへの感謝の気持ちを込めてだった。
すると、おばあちゃんも一生懸命にゆっくり拍手をしてくれ、ニコっと笑ってくれた‼︎
娘は「涙が出てきた〜」と言い、リビングへ行った。
わたしも嬉しくて、涙が出た。
祖母と2人になり、なぜか わたしが小さな頃に祖母が歌ってくれた歌を、歌いたくなった。
「青い目をしたお人形は〜♪ ……. 」
最後まで歌って、不思議な気持ちになった。
若い頃 保母さんをしていた祖母は、わたしに歌をたくさん歌ってくれた。
わたしは、思い出した歌を 次々に歌った。
わたしの心の奥に、祖母が歌ってくれた歌が刻まれていた。
祖母が、歌や日常の会話という形で、わたしに愛情をくれていたんだと分かった。
感謝の気持ちでいっぱいになり、涙があふれた。
その後も、わたしの妹一家が来て、父の弟夫婦や、その子ども達一家も来てくれ、久しぶりに祖母に会えてみんな喜んでいた。
そして、母が祖母の横で、その場にいた6人(ひ孫・わたし・わたしの妹) の名前を1人ずつ言うと、祖母もゆっくり名前を言ってくれた。
1人呼ぶごとに、みんな自然と拍手をして、とっても喜び盛り上がった!
「た・か・ちゃ・ん」
わたしも嬉しかった、心にグッときた。
そして、助産師を目指している妹の長女が、おばあちゃんを囲んでいる今の写真を撮ろう!とみんな笑顔の写真を撮ってくれた。
命が途絶えかけたのがウソのようだった。
祖母も、とっても嬉しかったと思う。
祖母は、認知症と言われているけれど、今 いろんなことが解っていると感じた。
母に聞くと、祖母は目薬以外、長いこと毎日飲んでいた高血圧やその他にもたくさんあった薬を飲むのをやめていた。
全部の薬が良くないとかではないが、薬が与える身体への影響だったと思った。
祖母に会えてホッとし、自宅に帰ると娘が、
「ママ良かったね!おばあちゃんに会えて、ありがとうが言えて‼︎ 」と言ってくれた。
わたしは、娘にハグをしながら「嬉しかったぁ! ありがとね」と伝えた。
祖母の顔を見て、直接お礼が言えた。
本当に嬉しかった。
思いがけず祖母と会えて、とっても幸せな日でした。
〈 祖母が帰ってきた2日目からのことは、次のブログでお話しします 〉
2回目はこちら→おばあちゃん ありがとう(大切な家族との最期の時間 )2回目
3回目はこちら→おばあちゃん ありがとう( 大切な家族との最期の時間)3回目
【 追伸 】
少し、不思議だと思われるかもしれないお話をします。
ブログの中で書いているように、9月20日の午前中 母から突然電話があり、祖母の命が危ないので、今から家に連れて帰ることにしたと聞き、ビックリしました。
その電話を切る瞬間に、わたしの頭の中に浮かんだこと。
それは、「一霊四魂(いちれいしこん)」という言葉と、先輩の顔でした。
わたしにスピリチュアルなことを教えてくれ、いつも わたしや家族を良い方へ導いてくれる先輩に、すぐに電話をして、
「おばあちゃんが亡くなりそうなんです‼︎ 一霊四魂を見ていただけますか⁉︎ 」とお願いしました。
一旦電話を切って、折り返し すぐに先輩から電話があり、
「一霊四魂 5つ全てのエネルギーが、マイナス( − )になっていたので、プラス(+)に変えたよ」と。
心からの感謝の気持ちを込め、お礼を言って電話を切りました。
涙が出てきた、おばあちゃんの命はつきようとしていたんだ!
本当に危なかった‥‥
あとは、祖母の「 魂 」が望むようになる、と思い ひとまずホッとしたのを覚えています。
そのことは、わたしの夫・娘、母には話をしました。
家に帰ってきた祖母の姿が聞いていた状況と全然違うと、父・妹一家、父のきょうだいやその子ども達、ケアマネジャーさん、看護師さんが、みんな驚いていました。
目に見えないことだけど、ありがたいことに祖母は家族みんなと会える時間と元気を取り戻してくれました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます♪