こんにちは! arc-en-ciel〈アルコンスィエル〉Takako(→プロフィールはこちら)です。
先日、思いがけず、あることを知りました。
今回は、そのことと感じたことをお話しします。
先日、娘と夫を送りだし、夫が天気予報を見るためにつけていたテレビを消そうとしたとき、NHKの連続ドラマ小説の主人公が、アンパンマンの作者だと気づいた。
なぜ、わかったかというと、台詞の中に、
「あのとき、あーしていたらよかった、と言ってほしくない、『 なんのために生まれて 』『 なにをしながら生きるのか 』みつかるまで、もがけ!」
と、いうような言葉があったから。
「 なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか 」
この言葉は、アンパンマンの作者 やなせたかしさんが作詞をした「アンパンマンのマーチ」という曲の歌詞のなかにある。
わたしは以前、信頼している先輩から「アンパンマンのマーチを聞いてみて!生きる全てが入っています!」と教えてもらったことがあった。
(くわしくはこちら → この曲、生きる全てが入ってる!)
何だか気になって、連続ドラマ小説のことを検索していたら、「絵本 〜やなせたかしと大人だからこそ読みたい作品〜」という番組が出てきた。
その番組を観て、今の国語の教科書には、やなせさんが、アンパンマンで伝えたかったことを、やなせさんの生涯と共に掲載されているものもある、と知った。
そして、子どもたちに愛され続ける「アンパンマン」の生みの親、やなせさんは、どのような人生を送ったのでしょう、とアンパンマンが描かれるまでの物語のVTRがあった。
やなせたかしさん
・1919年生まれ、父・母・弟の4人家族
・5歳のときに父を亡くし、弟は養子として高知県の叔父(おじ)夫婦のもとへひきとられ、その2年後に やなせさんも身を寄せる
・叔父夫婦はとても良くしてくれたけれど、たかしも弟もどこか遠慮する気持ちがあり、2人はさみしい気持ちをおぎなってすごした
・「絵を描くこと」に自分の居場所をみつけ、東京の工芸学校の図案科に入学
・卒業後、製薬会社のデザイナーとして働いていたが、1年経ったころ「 徴兵される 」
・戦争が終わり1946年に帰国、「 大切な弟の戦死 」を知らされる
・54歳のとき、現在の姿をしたアンパンマンが描かれ、絵本「 あんぱんまん 」は、子どもたちから評価され人気が広がる
やなせさんは徴兵され、中国大陸の戦場に行き、そこで長距離の徒歩移動やマラリアにかかるなど様々な苦しいことがあったそう。
でも、最もつらかったのは「 飢え 」
飢えに耐え、正義のために戦った後に残された悲しみ、一体「 正義とは何だろう?」と生涯をかけて問い続けた、と。
今も、子どもたちに愛されている「アンパンマン」は、『 おなかがすいている人に 食べ物を分けてあげる 』
やなせさんが「アンパンマン」に込めた正義のこころ・メッセージが子どもたちに伝わっている。
番組のなかで、実は‥‥ と紹介された。
東日本大震災のとき、ラジオ局に「アンパンマンのマーチをかけてほしい!」と、被災者の方々から たくさんのリクエストがあった、と。
あー そうだったんだ‥‥
戦争での、たくさんの苦しいこと・大切な人を亡くした悲しさや くやしさを経験し、乗り越えた やなせさんの思いは、たくさんの方を勇気づけ、はげましているんだ。
「アンパンマンのマーチ」は、大切なことを思い出させてくれる。
「なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのはいやだ!」
「なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!」
「今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで」
これは、歌詞のほんの一部を抜きだしたものだけれど、とても大切なことがつまっている。
「 なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか 」
この大切な問いがわかると、人生はもっと楽しくラクになる ^ ^ ♪
(くわしくはこちら→ 「何をするために生まれてきたか」考えたことありますか?)
最後まで読んでくださり、ありがとうございます♪