こんにちは! arc-en-ciel〈アルコンスィエル〉Takako(→プロフィールはこちら)です。
先日、祖父の法要がありました。
そのときに感じたことをお話しします。
先日、祖父の17回忌の法要に出席するため、家族3人(わたし・娘・夫)で実家に行った。
お坊さんが、お経をあげ終わり、最後のお話の中でこう言われた。
「今日目が覚めたというのも、あたり前ではないんです。朝、夫が起きてこなくて‥‥ということもありますからね」と。
その後、母から聞いて少しビックリしたけれど、わたしのひいおじいちゃん(祖父のお父さん)も、お正月の朝起きてこなくて「お雑煮できたよー!」と呼びにいったら、眠ったまま天に還っていた。
毎朝目覚めることは、「あたり前」ではない。
生きているのは、「あたり前」ではない。
「 あたり前 」の反対語は、「 有り難い( ありがたい )」
「 ありがたい 」は、有ることがむずかしい・まれである・めったにない、という意味。
毎朝目覚めることは 「あたり前」ではなくて、「ありがたい」こと。
生きているのは 「あたり前」ではなくて、「ありがたい」ことだった。
自分で生きているように思っていても、本当は、生かされている。
生まれてきたということは、いつか最期(さいご)をむかえる。
いつが最期かは、ほとんどの人は知らないと思う。
その日をむかえるまで、後悔のないように楽しく精一杯生きる。
でも、生きているのは「あたり前」と思うと、一日一日を大切に真剣に生きることや、生きられることへの有り難さ・感謝はなくなる。
生きている、生かされている、ということは本当に「 ありがたい 」「 感謝 」すること。
幸せになる!幸せになりたい、という人は多いと思う。
以前のわたしもそうだった。
(くわしくはこちら→ 幸せ♡「こころ」って何?〜神さまからのメッセージ〜 )
でも、その時は幸せになりたくて仕方なかったのに、なかなか なれなかった。
おかげさまで、今は、やっと幸せになれた。
正確に言うと、「 幸せであることに気づけた 」から、幸せになった。
日本に生まれた、ということだけでも、幸せ。
水が豊富なのも、食事や物に困らないのも、安心して暮らせる家があることも、日本ではあたり前の人が多いけれど、他の国からすると、めったにないこと「ありがたい」ことがいっぱい。
でも、以前のわたしもそうだったけれど、生まれた時からあるから気づかない、その豊かさを「あたり前」に思い、受け取ってしまう。
不平を言えばいろいろあるかもしれないけれど、生活のなかの普通に
・水道があるおかげで、遠くまで水を汲みに行かなくても水がある
・電気があるおかげで、明るくすることや、暑いとき寒いときも快適に暮らせる
・美味しい食べ物もたくさんある
・ほしいものはお店に行けば売っている
・学校で勉強ができて、知識を得ることができる
・清潔な環境で暮らせる
・命を奪われるような環境ではない
本当に、豊かだ。
「 足るを知る 」十分にある・満たされている、と気づくこと感謝することが、とても大切。
それに気づかないと、不足の気持ちを生み、「ない、ない」と、ずっと幸せを探す人生になってしまう。
(くわしくはこちら→ ◯◯しないものは、奪われる )
もう十分に、私達は「 豊か 」で「 幸せ 」だった。
私達は、ただ、豊かであること・幸せであることに気づけば良かった。
幸せな人は、豊かであること・幸せであることに気づいた人。
豊かであること・幸せであることに気づき、本当の意味で幸せになる人が増えると嬉しいなぁ ^ ^♪
最後まで読んでくださり、ありがとうございます♪